ゆるアーツジャーナル

ジャズ/アーツマネジメント/日々感じることを綴っています。

Duke Ellingtonが生まれた街のジャズクラブ

Duke Ellingtonの生まれた場所

ジャズ界では、誰もが知っているであろうDuke Ellington。
1899年、ワシントンDCにて生まれました。エリントンが生まれた場所や育った建物などは現在一般公開されていませんが、街にはCultural Tourism DCによるトレイルや看板などが設置されており、当時のDCのジャズシーンなどを知ることができます。

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Washington Post, February 4, 2012

①Duke Ellingtonが生まれた場所
②Duke Ellington School of the Arts
⑨や⑮周辺はジャズが聞けるバーなどが集まる場所

エリントンの伝記には、1920年頃のDCはハーレムよりもジャズクラブがあり、ジャズが盛んだったと言われています。


閉店してしまった歴史あるジャズクラブ"Bohemian Caverns"

ジャズクラブが集まるU Street には、Bohemian Cavernsというジャズクラブがありました。実際の建物はまだ残っていますが、2016年3月に運営資金の問題で閉店せざるを得ませんでした。オンラインで物件が出ています。

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Cultural Heritageを守るための活動

今学期の授業で非営利団体のケーススタディーを書いていた時に、見つけたのがこの記事。

dcist.com

Duke Ellington School of the Artsでジャズディレクターを務める、Davey Yarboroughが「Bohemian Caverns」を復活させたい、という目標を表明したのです。詳しいことは記事に書いてありますが、National Trust for Historic Preservation(歴史的建築物の保護を目的とする団体)との繋がりもあるそうです。

 


偶然が重なり、Yarboroughさんと一緒に仕事をしているという友達が私のためにミーティングの機会を設けてくれることになりました。

私自身とても興味のある、ワシントンDCのジャズシーン。非営利団体のマネジメントの勉強や、この機会を活かして積極的にDCジャズの伝承に関わっていきたいと思っています。

 

Duke Ellingtonのことを学ぶのに役に立った本

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Jazzと正義

アーツ界にアンテナを張り巡らす

人々の生活や人が住む建物にも歴史があります。

人間が生きているなかで生まれた芸術も時の経過と共に発展し、ある程度のジャンル分けがされていく。今の時代を生きる私たちは、その歴史の重なりの中に織り込まれていきます。

 

アーツマネジャーやリーダーとしての役割は、過去のアートフォームを来世に残しながらも何か新しいことは出来ないかと常にアンテナを張り巡らして、新たなアートフォームを生み出していける環境を作ることだと思っています。もちろんアーツマネジャー自身も一人のアーティストであり、クリエイティブな思考が必要になってきます。

 

Jazzと正義をつなぐイベント

私が大学院に居る間に一番出来る事といえば、より多くのケーススタディーをしてクリエイティブな思考の可能性を広げることだと思っています。現代の芸術の世界のリーダーたちと会う機会があり、彼らの取り組みを肌で感じて「こんなことも出来るのか~」とイベントやプログラミングのネタを日々盗み取っています。

 

先日、実行委員として参加したのが「Jazz 4 Justice」というイベント。

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私のお世話になっているサックスの先生がリーダーを務めており、2001年の創設からパートナーシップも増えて年々成長している非営利団体です。

Jazzの力を正義のために使おうというテーマのもと、大学の音楽学部と地域の法律のためのコミュニティを繋ぎ、法的援助とジャズを勉強する学生のための資金を提供しています。

この活動によって、学生が大学に通ってジャズを学んだり、法的な手続きをしないといけないけど費用が足りていない人が、援助を受けることができています。
一日のコンサートのチケットの売り上げで、250万円近くのドネーションを集めています。

 

ジャズと法律、もともと直接的な関わりはありませんでしたが、地域の法律団体に努める人たちがジャズが好きだったという理由で、このプロジェクトは始まりました。

このブログでは、一見無縁に見えるジャンル同士のコラボレーションを見つけ次第レポートしていきたいなと思っています。

 

芸術界の未来

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Gaylene Carpenter著書の「Arts and Cultural Programming」という本を読み始めました。最後の方には芸術の世界の未来について書いてあるので詳しくは次のブログで書く予定です。

 

 

 

 

 

Thelonious Monk Institute of Jazz から Herbie Hancock institute of Jazzへ

今年の12月2・3日にワシントンDCで「第30回セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティション」が開催されます。私が大学生の頃にもサックス部門のコンペティションでDC行われました。2018年は、ピアノ部門です。

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世界中から注目されているこのコンペティションは、ジャズミュージシャンの登竜門とも言われていて、非営利教育団体のThelonious Monk Institute of Jazzが主催しています。

2018 Thelonious Monk Institute of Jazz International Piano Competition

 

この団体はワシントンDCに本部を置き、コンペティションだけでなく様々な教育プログラムやインターナショナルジャズデイなどの国際的なイベントも行っています。

 

団体の名前でもある「セロニアス・モンク」(ジャズピアニスト)の息子、Thelonious Monk IIIによって1986年に設立されたこの団体は、現在ハービーハンコックのリーダーシップのもと運営されています。

 

そして11月6日には、団体の名前を「Herbie Hancock Institute of Jazz」に変更するというアナウンスがされました。(これは、2019年の1月1日に実行)この決断にハービー自身は関わってないようで、運営委員会の中で決定されたと記事中に書いてあります。

monkinstitute.org

 

団体の名前が変わるというのは大きな決断だと思うし、反対の声などもあったようですが「UNESCO」とのパートナーシップは今後も続き、今までのミッションをもとに教育プログラムを世界に向けて発信していく予定だそうです。

 

来月行われるピアノ部門のコンペティションが楽しみです。

 

 

バディボールデンの家をめぐって ~歴史的建造物の保存∼

数日前にジャズの評論家/歴史家であるTed Gioiaのツイッターで、バディーボールデンがかつて音楽家として住んでいた家についての記事を見つけた。

 

 

ニューオリンズはジャズの発祥の地としての観光事業に毎年約1千万円を投じているようだが、市議会委員のJay H. Banksはバディーボールデンの家の保存は考えていないという。

 

ニューオリンズのテレビ局はこれに対して、家の周辺の人の意見を映した動画を出しています。

www.wwltv.com

 

 バディーボールデンは、「ジャズと呼ばれる音楽を作った人物」だと言われてはいるものの、実際に彼の演奏していたレコーディングは発見されていません。しかし、彼の演奏を聞いて育ち、ジャズを演奏するようになったミュージシャンからの貴重な証言や、現存する最古のジャズバンドの写真の中に彼が写っているということから、彼が演奏していた音楽がジャズの起源と言われています。

バディボールデンのコルネットの音はかなり大きかったため、この家の入り口にある階段に腰かけて練習をしていたそう。彼の周りには、小さな子供たちが集まり「キングボールデン!」と言いながら演奏を楽しんでいました。

 

そんなバディボールデンの家は、向かいにあるバプテスト教会が2008年に買い取っていますが、保存のための補修などは行われず、現在かなり劣化が進んでいます。

 

Ted Gioiaがツイートしたことにより、Jay H. Banksが8月24日にプレスリリースを発表しました。ニューオリンズでは過去に取り壊しをした歴史的建造物もあることから、今後はそのような事が起きないようにする方針で、バディボールデンの家をジャズの歴史の一部であることも理解してくれている様子。

 

https://pbs.twimg.com/media/DlZmojvU8AAw2jb.jpg

https://pbs.twimg.com/media/DlZmojvU8AAw2jb.jp

 

 

そしてTed Gioiaのツイートによって、それに反応を示したWynton Malsalisが市議会委員と直接電話で話をしたようです。

 

 

 

 

このようなやりとりがツイッター上で行われるのは、現代らしい動きだなと思いました。

 

まだ、ジャズ歴史にまつわる証言や現物が残っている現在。これらを残して後世に伝えていくのも今の時代のジャズに関わる人たちの役目だなと思います。

【スミソニアン特集④】博物館の楽器倉庫は宝の山?!

 

スミソニアン特集①アーツマネジメントの世界で働くプロたち

スミソニアン特集②どんな仕事をしてるの?

スミソニアン特集③どんな展示物が見られるの?

スミソニアン特集④博物館の楽器倉庫は宝の山?!

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 美術館や博物館の倉庫って覗くことって、普段はないですよね。
先日、仕事を抜け出して楽器倉庫に潜入させてもらったのでその時のことをお話したいと思います。

(写真は、ウェブ上で公開中なので見放題です!)

 

①ディジーガレスピーのBbトランペット(1972年)

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この、ベルが上を向いたトランペット。見覚えのある方も多いのではないでしょうか?1940年代にトランペットとスキャットで活躍していたガレスピー。ほっぺたを膨らませながら吹く姿がとても印象的な彼は、アフロキューバンのリズムを取り入れながらビバップの時代に影響を与えた人物。
1986年に寄付されたこの楽器は、ガレスピーが10年間実際に吹いていたカスタムのSilver Flair というもの。現在は一般公開されておらず、またエキシビジョンのある時に展示予定です。

 

②ジョンコルトレーンのテナーサックス(1965年)

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ジョンコルトレーンという名前を聞いたことがある方も多いでしょう。彼の息子で同じくテナーサックス奏者のラビコルトレーンから寄付された3つのテナーサックスのうちの一つ。近くで見るだけで鳥肌が立ってしまいました。

2014年にスミソニアンで、コルトレーンの”A Love Supreme”というアルバムがリリースされてから50年の記念コンサートを行ったのですが、実は私の恩師がこの楽器を実際に使って演奏をしたのです。あの時の不思議な空気は忘れられません。

 

③マイルスデイビスの衣装(1991年)

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カラフルなジャケットは、マイルスデイビスが1991年にスイスで行われたモントルージャズフェスティバルでクインシージョーンズと共演した時に着ていたもの。マイルスはデビューした1940年代には普通のスーツを着ていました。しかし、彼の音楽がどんどん発展しエレクトリックな演奏を始めた1968年以降はその音楽に相応しい主張の強い衣装を着るようになっていきました。楽器以外にも歴史の流れを象徴している大切な資料を守るのが博物館の役割です。

 

④イングリッシュギター(1760-1780)

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ジャズ以外の楽器でも、バンジョーやギターバイオリン、ピアノなど様々な楽器が保管されています。なぜ、アメリカの歴史博物館にイングリッシュギターが置いてあるのでしょう?理由は、アメリカが移民の国だから。他の国から楽器が運ばれて来なければ、いまのアメリカの楽器は存在しません。他にも、世間ではほとんど使われなかった発展途中の楽器などもあります。アメリカという国を代表する博物館だからこそ、今の我々の世代までにどんなストーリーがあったのかを記録し、後世に伝えていくという大切な役目があります。

博物館内には常に数多くの展示品がありますが、裏の倉庫にはそれ以上に信じられない数の宝が保存されているのです。

すべての楽器に歴史が刻まれている。なんて素敵なことでしょうか°˖✧

チョコレートの箱の中には。。

フォレストガンプ(邦題:一期一会)という映画が大好きです。(トムハンクスが好き)先日、見たのが5回目でした。好きなシーンはたくさんあるのですが、なかでも主人公がベンチに座って名言を言うところが特に良い。

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「ママがよく言ってたけど、人生はチョコレートの箱のようなものだよ。開けて食べてみるまで何が入っているかわからない。」

個人的には、お中元でもらったりするアソートチョコレートが頭の中に浮かんできます。たしかに、どんな形、味、大きさが入っているかは開けてみないとわからない。一つずつ食べてみて、「あぁ、おいしい。」とか「これは、あんまり。」とか言いながら。

人生もそんなようなもので、楽しいこと・辛いことをひとつずつ味わいながら色々なことを感じて進んでゆくんですよね。数えきれない出会いや出来事がすべてシンクロして、いまの私の状況をつくりだしているんだな、と感じます。

 

最近、続けていることはスミソニアン博物館が所蔵しているジャズミュージシャンのインタビューを聞くこと。レジェンドと呼ばれるミュージシャンたちの生の言葉を記録したもので、録音を聞くこともできるしスクリプトをみることもできます。

americanhistory.si.edu

ジャズに関わるということは、技術的な演奏を極めるということもできますが、ジャズの資料の宝箱のような場所で働けるということはとても貴重だと思います。

(私は、良いチョコを引き当てたな~と思っています。)

 

このブログをたまたま見て、スミソニアンのウェブサイトには素敵なツールが沢山あるということを知っているひとが増えたら嬉しいです。そして、こういう情報をもっと日本の人へ伝えたいです。

 

英語の勉強にも、ジャズの歴史の勉強にもなることまちがいなしです★(いつか日本語で情報提供をできるようになりたいです。。)

 

Washington Women in Jazz Festival

3/10から約一週間開催しているWashingon Women in Jazz Festival。日ごろからニュースでも、女性の働き方やセクハラなどの問題について語られていますね。3/8は「国際女性の日」とされているためこのジャズフェスティバルも同じ週に開催されるようになりました。

 

Washington Women in Jazz

2011年にジャズピアノ奏者のAmy K Bormetが立ち上げた団体で、DCやヴァージニア州、メリーランド州の女性ジャズミュージシャンを中心とするコミュニティーのために活動中。スミソニアン アートミュージアム・Livine School of Music・ウェストミンスター教会などがスポンサーとなっていて、フェスティバルもこれらの会場で開かれます。

 

今回、私はミュージシャン&主宰側のお手伝いとして参加させてもらっています。昨日始まったばかりですが、コンサートはすべて満席。女性だけでなく、男性のジャズミュージシャンもたくさん足を運んでくれて、終始ポジティブなエナジーが感じられました。ここまでのコミュニティーを作りあげたAmyはミュージシャンとしてもアーツマネジャーとしても憧れです。

 

1日目のイベントのゲストとしてニューヨークから来ていた素晴らしいテナーサックス奏者のRoxy CossもWIJO – Women in Jazz Organizationという団体を立ち上げています。いろんな場所に、こういうコミュニティーができて輪が広がっていったら面白いだろうなあと思います。

 

フェスティバルやリハーサルの様子↓

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