近況。アメフト/チャーリーパーカー/誕生日
ドタバタの日々を過ごし、あっという間に前回の記事から2か月が経過。自分でも何をしていたのか分からないくらいの忙しさでした。書ききれないくらい色んなことがあったのですが、今月からまたぼちぼちブログ再開。
アメフトのマーチングバンド
高校時代は吹奏楽部に所属していたので、野球部の応援やサッカー部の応援で演奏する機会がありました。高校球児にもスポーツ観戦にも興味のない私は、ひたすら暑さと寒さに耐えながら無心で演奏していたように思います。
そんな私が、アメリカンフットボールの公式マーチングバンドで演奏をすることに。毎年この季節になると全米で盛り上がっているし、ようやくアメリカの文化に馴染み始めているような気がします。実際のスタジアムはテレビ観戦じゃ味わえないような雰囲気。
私の応援しているRavensというチームは、今年絶好調でこの写真の試合では41対7でテキサスのチームに勝ったのです。
観戦に来ていた知り合いが撮ってくれた写真。
チャーリーパーカーのサックス
2020年に生誕100年を迎えるチャーリーパーカー。彼が生前に所持していたうちの1つとされるサックスが The National Museum of African American History and Cultureに展示されています。先日、DCにあるナショナルモールでギグがあったので、その待ち時間に見に行ってきました。
1955年、ハリケーンダイアンの影響で浸水した家から、パーカーの最後の妻であるチャンパーカーが救出した遺品の1つ。
The Long Journey of Charlie Parker’s Saxophone | At the Smithsonian | Smithsonian
キュレーターによると、1947年にパーカーのためにカスタムメイドされた物だそう。本体はブラスで、スターリングシルバーのベルには花とパーカーの名前が彫られています。来年の生誕祭では、誰かが吹くんじゃないかと期待。
誕生日
昨日、誕生日を迎えました。写真は、開いてもらった誕生日会で自分が作ったトトロのケーキ。ちなみに、アメリカでそんなに有名ではありません。
沢山の経験を重ね、やりたい事も増えていく一方なので、目の前のことに全力で取り組んでいきたいと思います。
犬のお泊り会
可愛い犬様が一週間私の家へ来た。
入ってはいけないキッチンに前足だけ置いて怒られる寸前の犬たち。
飼い主さんが出張でベガスへ行くので、うちのマックスとも仲が良いしお世話を引き受けたのでした。
この可愛い子は、Sissiちゃん。イタリアで生まれたバーニーズマウンテンドッグの子犬で8月中旬アメリカへ引っ越してきました。お座りや待てなど躾はイタリア語なので、多少の不安はあったものの留学生の受け入れをしている気分で楽しいひとときを過ごすことに。
マックスと大きく違う点は、
- 女の子であること
- 長くてふわふわの毛
- かなりの大型
一週間、片時も離れることなく仲良くしていました。
ふわふわの毛の犬も飼ってみたいと思っていたんだけど、掃除機が壊れるかと思うくらい抜け毛がひどかった。。毛がクッションの役割を果たしているのか、フローリングの床が好きなようで、飼い主の洋服や枕を自分のもののように床に敷いて寝る短毛のマックスとは違うんだなと思いました。
そして女の子なので生理がある。部屋に居るときは犬用のパンツを履いてもらいました。あとは、体重が私よりも重いので散歩の時にほぼひきずられ状態。躾がしっかりしているので、引っ張らないでと伝えればゆっくり歩いてくれるのだけど、慣れない近所の犬や車に反応して走り始めるともうコントロールが効きませんでした。
そんなこんなで、ふわっふわの大型犬を飼うという夢が思わぬ形で叶ったわけだけど、今の私には一人で面倒みるのが大変だということが分かりました。ものすごく可愛いのだけれどね。
マックスにとっては、ソーシャライゼーションするとても良い機会となったようです。ドッグスクールを卒業してから他の犬と会う機会があまりなかったので。
ふわふわ枕を手に入れたマックス
とにかく大変だったのは、ヨガと筋トレを部屋の中でし始めると横で取っ組み合いが始まること。二匹で遊んでいるだけなら良いのだけど、私まで巻き込もうとするのでそれどころではありません。
犬二匹との生活は最高だったけど、やっぱりわが子のマックスが一番可愛いという結論に至る。
Sissiちゃんを撫でていると嫉妬するマックス。
ご飯の順番を後にされて怒るマックス。
Sissiちゃんと思う存分庭で遊ぶマックス。
疲れ切ってすごい体勢で寝ているマックス。
いつもと違う一面が見れてとても良かった。
子犬二匹でもあたふたしている私からすると、人間の赤ちゃんのお世話をしている世の中のお父さんお母さんたちは、本当にすごいなと尊敬。
同い年のSissiちゃんは、車で一時間のところに住んでいるけど、今後も仲良くしていけたら良いね。
ジャズのレコード「トリのデザイン」
ライブ・CD・Youtube・オンラインストリームサービス・・
今時ジャズを聴く方法は沢山あります。
先日アメリカの小学生たちにレコードを聴いてもらう機会があり、半数以上がレコードの存在を知らないということがありました。もちろん私もレコードよりはCDやipodなどの音楽デバイスに入った音楽を聴くことの方が多いし、所有するレコードも70枚ほど。
ここ数年、日本でもアナログブーム再熱で雑誌でレコードが聴けるお店を紹介するコーナーがあったり、インテリア雑誌でレコードプレイヤーが置かれている写真を目にしたりします。たとえ流行りの「映え」のために注目されていたとしても、その魅力を知ってもらい、レコードを手にする人が増えるのは良いことかなと感じています。(実際に私はCDより大きいレコードはコレクションするには、かわいいと思ってます)
今日は、以前私がジャケ買いした「トリのデザイン」のレコードたちを紹介。
なぜか私はトリのデザインに惹かれてしまうのです。
チャーリーバード 「Blue Byrd」
1979年 Concord Jazz
ヴァージニア出身のギタリストチャーリーバードは、バードというだけあってジャケットデザインはトリが多め。落ち着きのあるトリオのボサノバ演奏が魅力です。
チャーリーバード「Latin Byrd」
1973年 Fantasy Record
またもやチャーリーバード。管楽器も加えた演奏がとても良い。異国の地でバケーションを楽しんでる気持ちにさせてくれます。
エディーダニエル「To Bird with Love」
1990年 Grp Records
エディーが、お父さんへジャズのレコードを幼い頃に買ってくれてありがとうという気持ちを込めて作った作品。私はEast of the Sunがお気に入り。
シェリーマン「The Three & The Two」
1954年 Contemporary
The Threeのレコードは、ドラム・トランペット・サックス/クラリネットをフィーチャー。The Twoのレコードは、ドラムとピアノのデュオ。ジャズスタンダードやオリジナルコンポジションを使って、実験的な演奏をしているのが印象的。いわゆるビバップのような演奏ではなくて、フリーに近い独自の解釈がされたスタンダードを楽しめる。
現代の私たちがジャズのことを知るための教材は、映像・オーラルヒストリー・写真・年長のミュージシャン達の話など。それに加えて当時のジャズミュージシャンたちのエッセンスを感じることを可能にしてくれるレコードは、今となってはとても貴重なもの。
レコードを聴く人が少なくなっているなか、まだレコードが存在するうちに多くの人に楽しんでもらいたいなと思います♪今後もテーマ別に私の所有するレコードを紹介していきます。
お引っ越し
今まで2年間住んでいたお家では3人のハウスメイトとシェアをしていたのですが、一年ごとの契約も切れ、犬も飼い始めたこともありいよいよ引っ越しの時期がきました。
物件探し
アメリカはもちろん、日本での家の買い方も全く分からず。
知識0の私は、まずリアルターという日本でいう不動産仲介業者のオフィスを訪ねました。リアルターは、物件探しを売主との交渉をしてくれます。回りの大人が当たり前のようにやっている事なのだろうけど、知らないことが多すぎて途方に暮れていたのは事実。
ですが、リアルターが知り合いだったということもあり、7月の頭になんとか条件に合う物件を発見。主な条件としては、
- ペット可能
- 庭付き(犬が外でトイレをするため)
- 2ベッドルーム、1バスルーム
- 近所を気軽に散歩ができる環境
犬の大きさや犬種に制限があるところが多かった。うちの犬はギリギリ大きめの中型犬と思い込んでいたのですが、25キロ以上は大型犬の部類になるようです。そして、昨日体重を測ったら29.5キロ!!!半年前に比べて4キロ太りました。でも、ご飯もモリモリ食べて、育ちざかりの1歳半なので良しとします。
緑が沢山ある近所を散歩中。
ハウスツアー/オファー
日本と同様、良さそうな物件を見つけて内見に行きます。
驚いたのは、Foreclosure(差し押さえ物件)というステータスの家について。何も知らずに見に行ったその家は、、地下室がカビだらけ。不動産ホームページの写真には写っていなかったのでビックリ。
Foreclosureというのは、前のオーナーが何らかの理由で住宅ローンの支払いが出来なくなり、銀行に差し押さえられてしまうことのようです。銀行が買い取ってからは、何のメンテナンスも行われないため、家の中の環境がどんどん悪くなってしまうんですね。さらにひどいケースだと、住むところを失ってしまった前のオーナーや、いたずら目的の人達が不法侵入をして家の中を荒らしたりするようです。(冷えてない冷蔵庫に食べ物を入れて腐らせたり、壁一面に穴をあけたり)
その酷い状況の家を見てから、内見に行くのはちゃんとした理由で売りに出ている家を探そうと思いました。でもそういう家は大抵安くなっているので、人によっては安く買ってリノベーションをするケースもあるそう。私の場合はそんな知識も気力も時間も無いので却下。
条件にあった物件を見つけると住宅ローンの専門家に会いに行き、正式なオファーをして契約に進みます。
物件調査
ここまで順調に来ていると思いきや、そうはいかないのがアメリカ。住宅ローン会社の担当の人が確認事項の重大な見落としをし+期日を守らず+バケーションに行き+その間引継ぎもされず、あっという間に一ヵ月半が経ちました。(えー!)
その期間、銀行や郵便局などとにかく沢山の場所に行っては書類を集め、本当に契約が成立するのかドキドキバタバタの日々を過ごすことに。
書類準備に追われている間にも物件調査の専門家を雇い、家のコンディションや修繕が必要な場所・それにかかる費用を調べてもらったりします。
幸いなことに、私の選んだ物件は前のオーナーにより綺麗にリノベーションが行われ、屋根も新品のものに変えてもらっていたので、大きな修理は必要なかったようです。
新しい家で居心地の悪いマックス。
(これから一緒に住むおうちだよ~となだめられている。)
始めの数日間は落ち着くスポットを探していました。
引越し完了
芸術と政治②
前回は、私が芸術と政治について知りたいと思うようになった時のエピソードと、ジャズ教育の中で扱うと良いなと個人的に思う本について紹介した。今回は、ジャズというジャンルにとらわれずにアメリカ国内における「芸術」と「アーティスト」にフォーカスしたいと思う。
(ちなみにこの芸術と政治シリーズは私の思いついたトピックを自分用の記録として随時足していく予定)
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今となっては「自由の国」というイメージのアメリカだが、そのイメージは徐々に形成されたもの。その変化を、年代ごとの特徴とともに(超)簡単に順を追って整理したいと思う。
New Deal Art During the Great Depression
1920年代の始まり
- 生活の質や年収の格差がかなりあった
- 娯楽として、テレビや人気に。
- ジャズは少数派の音楽から大衆の音楽へと変化
- 田舎に比べると、ニューヨークなどの街の発展は著しかった
- 移民の制限が始まった
1930年ー1940年代
- 地位やお金のない人々が政治の発展に影響を与えた
- 世界大恐慌
- WPA(公共事業促進局)の発足
- 共産党
1940年ー1960年代
- 第二次世界大戦後、アーティストはヨーロッパからアメリカへ来ていた
- 冷戦中の外交政策としてCIAによる文化交流プログラムが始まる
The Federal Theatre Project was run by the Works Progress Administration (WPA)
ここでは、私のイメージを書いていますが今後の記事でWPAや外交政策の詳細や人々の暮らしについては触れていきたいと思っています。
アメリカはの政府はWPAの設立を皮切りに外交目的で芸術というツールに着目し、失業者にも目を向けるようになりました。実際、WPAは5年くらいしか続かなかったにも関わらず今でもモデルとして使われており、かなりのインパクトを残しました。
この時代のことを知るのに、とても良かった映画があります。
「Cradle Will Rock」
ティム・ロビンス監督、脚本の映画で1999年に公開されました。
トレイラーはこちら。
失業者が沢山いた世界大恐慌後のアメリカではニューディールの一環として政府がWPA (Works Progress Administration)を設立し、公共事業を実施。そのプログラムの1つにフェデラルシアタープロジェクトというのがあり、オーソン・ウェルズ演出担当の「Cradle Will Rock」が上演されることになる。オーソンはシェークスピアのファンで、3本映画化をしたという。Cradle Will Rock は日本語で「ゆりかごは揺れる」と訳されていて、政府によって中止を言い渡された唯一のミュージカルである。
公演の中止は共産主義的な内容を含むことが原因だったが、それでも何とか実施しようと奮闘する労働者や周りの人々を描く。この物語に平行してメキシコの画家ディエゴ・リベラがロックフェラーに反発してこれまた共産主義的な画を描くが、無残にも壁ごと叩き壊されるという話もある。
芸術を表現のツールとして使うアーティストたちと、芸術を政策のツールとして使おうとする政府。働き口がなくて必死にもがく労働者たちに必要だったのは個人の主張を表現できる機会。だけど、その資金を出していた政府はあまりにも左翼的に流れて行ったこのプロジェクトを止めざるを得なくなってしまった。
実際に公演を実施したシアターのハウスマンが当時の様子を語る映像もあります。
ところどころミュージカル調な部分もありつつ、この時代について知りたい方にはお勧めの作品。私自身もこの映画を久しぶりに観て、最近のアーツマネジメントと政府の関わりについてもっと深く知りたいと思いました。
【オーケストラ経営】 National Philharmonic と Baltimore Symphony
周りのミュージシャンやアーツマネジメントに関わる人の間で、かなり話題になっているNational PhilharmonicとBaltimore Symphonyの経営問題。どちらもコンサートには足を運んだことがあるし、歴史あるオーケストラなのでとても気になる。
どんな会社でも、経営のライフサイクルというものはあってうまく進んで行く時もあれば破綻してしまう時もある。私自身この二つのオーケストラのファイナンシャルステイトメントや新聞記事もまだしっかり読めていないので、今後資料を集めて調べていきたい。(とりあえずメモ用に記事リンクを貼っておく)
National Philは大きな一度の資金援助でその時のピンチは救えるかもしれないけど、長い目で見ると長期的な支援を契約して人々のボランティアワークには頼らないという状況が作れないとこれからの継続は難しいのではないかと思う。$150,000の赤字の裏には何かしら経営側に歪みがあるのではないか。
ちらっと目を通して、この最初のリンクにはGovernment shutdownについて書かれていた。実際にDC・メリーランド・ヴァージニア州のアーツ団体において政府の閉鎖はどの程度影響があるのかが気になる。
芸術と政治①
芸術というのは私達の日常から遠く離れることもできるが、密接することもできる。人間の生活に関係のあるものだからこそ政治や社会の関心が芸術に大きく影響することもある。
私自身、ワシントンDCという政治都市に住むことでニューヨークやニューオリンズ、ロサンゼルスなどとは違う視点でジャズを含む芸術を見つめることが出来ているように感じます。今後、芸術と政治に関わることを少しずつ書いていけたらと思っています。
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2011年の冬にジャズのプライベートレッスンを受けていた先生のスタジオで1枚の写真を見かけた。
それはエジプトのスフィンクスと先生のジャズバンドが写っていている写真。
「あれ、これって?どこかで見たことあるような。。」
と思っていると、先生が「ジャズトランペット奏者ルイ・アームストロングが1961年に外交政策の一環で訪れたエジプトにスミソニアンのツアーで行ったんだよ」と。
私が見たことあった写真はこれ。初めて見た時には、スフィンクスと写っているイカした写真だな~くらいにか思っていなかったのだけど、この時代のジャズと政策について少し教えてもらってから、もっと勉強しようと決意した。
残念ながらジャズを使った外交について扱っている日本語の資料はほとんどみかけないが、2017年に発売された政治学者の齋藤 嘉臣氏による「ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史」はここで紹介しておきたい。
この本では、政治学の博士号を持つ齋藤 嘉臣氏が当時「ジャズ大使」と呼ばれていたジャズミュージシャンとその周りの社会状況について詳しく書いています。参考文献の充実ぶりでこの本の真剣さが伝わってくる。
それに加えて「アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで」という本も政治や文化を交えたアメリカの音楽について学べるのでよかった。
せっかくジャズを大学・大学院まで学ぶのなら、学生達にはこういう知識を学ぶ機会もあると良いと思う。日本語での文献は貴重なのでジャズの歴史を学ぶクラスかなんかの課題図書にしても良いくらいだ。
スミソニアンのジャズバンドがエジプトにツアーへ行ったのは、ルイアームストロングが訪れた47年後の2008年。約50年経った今でも同じ音楽を通して交流の場を設けることができるのはすごいことだと思った。
当時のプレスリリースによるとジャズバンドはシンガー・スウィングダンサーと共にパフォーマンスを行い、加えてアメリカ歴史博物館のディレクターだったBrent Glassによるレクチャー「Shedding Light on American History」とジャズキュレーターのJohn Hasse によるレクチャー「Louis Armstrong: American Genius」も行われたようだ。
芸術は社会や政治と共に変化し、今まで積み重なってきたものなのだと考えさせられる。