バレンタインデー
アメリカでは昨日がバレンタインデーでした。
街では、お花やクマの人形を持った男性たちで溢れかえっていて
なんだかほっこりとした気分になりました。
バレンタインの歴史は、ローマ帝国の時代までさかのぼり、
当時、神々の女王Junoのお誕生日のお祝いとして開かれたお祭りが由来です。
お祭りの間には、女性はくじで選ばれたパートナーと一緒にいるという決まりで
そのまま恋に落ちて結婚をするカップルも多かったようです。
そんなことから、「恋人たちの日」と定められました。
日本では、チョコレート会社の戦略で女性が男性にチョコレートを贈るという
風習がありますね。
ヨーロッパやアメリカでは男性からの贈り物が主流です。
そして、必ずしもチョコをあげるというよりは
素敵なディナーとお花をプレゼントしてお祝いするのが主流。
今年は、なんと平日にバレンタインデー当日だったため
会社帰りの男性がお花を持って走って帰宅している姿が多かったです笑
非営利団体の経営
去年の夏から、ことあるごとに参考にしている本です。
いままで、非営利団体に興味はあったけど関わることがあまりなくて
実際のところ仕組みなどは皆無に等しい状態でした。
先週、この本を書いたSusan Schaeferさんのレクチャーを聞く機会がありました。
チャーミングな容姿とは裏腹に、さすが頭の回転が速くてお話もすごく面白かったです。
彼女はいまJohn Hopkinsで講師をやっていて、今までの一番大きな成功談といえばあのビルゲイツのGates Millenium Scholars Programで民間の助成金を獲得するために3年かけてグラントを書き上げたことです。
非営利団体の経営者の多くは、地球に起きていることにすごく関心を持っているし
ミッションステートメントを掲げて、どんな新しいことができるのか
いつも模索している。
本から学べることは、ほんの基礎に過ぎないし、
実際の現場では役に立たたないこともあるかもしれない。
でも本を読んだうえで著者の体験談を聞いてみると、どんなに波乱万丈な体験でも基礎の知識がベースでその上に経験を積んでいくことが必要なんだなと感じた。
最後に、「たくさんの失敗や苦い思いも、時間がたてば笑い話になるものよ」と言っていたのが印象に残った。
脳の活動ー禅マインド
たまたま目に止まって面白いなと思った記事。
人間の脳は、人と話したり本を読んだりするという意識的な仕事を行っている時よりも
ぼーっとしている時のほうが休めていると思われがち。
でも実際、休んでいる間の私たちの脳は「基底状態」になっている。
この基底状態では、「Default Mode Network」と呼ばれる脳領域で構成されたネットワークが、脳神経を同調し続けている。
この働きは体に起こりうるあらゆる事にそなえて、いつでも反応できるように、と常に動いているらしい。
赤信号で車を一時停止させても、エンジンは切らないで青信号を待っているようなものですね。
この、ぼーっとしているときこそ脳は警戒態勢を高めています。
私は、通学や仕事への移動で片道30分強歩いているけど、その間も常に何かを考えてしまいがち。
家でリラックスしようとしても、気になる事がアレやコレやと出てくる。
そこで去年の年末に買ってみた本が"禅マインド ビギナーズマインド"という本。
スティーブジョブスもかつては実践していたそうで、日本語の文庫と英語のキンドル版で読んでみました。
(これは英語版↓)
最近マインドフルネスというのが注目を集めています。禅マインドとは根本的には違うのですが、現実世界やインターネット上で様々なことが起こっているこの時代に、自分の呼吸や体の微細な変化を感じるといった点では同じことなのかなと思います。
異なる点は"ご利益"を意識しているか、していないか。
禅をする場合は、集中力を高めよう・リフレッシュ感を得よう、などと何かを求めることはしません。特別何かを信じるわけではない代わりに"無"の状態、もっと超越したところに意識を向けていきます。
一方、マインドフルネスは不安を取り除いたり体の調子が良くなることを期待して、瞑想をします。
この禅とマインドフルネスの違いを意識しつつ脳をちゃんと休ませるためにも、自分と向き合って"いまここに在る"ということに感謝する時間を大切にしていきたいと思います。
最近の趣味は・・?
学校や仕事のことばかり考えていると、堅苦しくなってしまうので
気分転換にゆるーいことを書きたいと思います。
(ブログのタイトルが「ゆるジャーナル」なんだし。。)
最近の私の趣味は、、、、編み物!
そういうキャラじゃないと言われそうだけど、
憧れのニットクリエーターさんがいるんです。
蓮沼千紘さんっていう方なのですが、
「編んで、自分の世界観を表現している」姿がとてもかっこよくて。
常に何かを問い続けながら、ニットを編んでおられます。
作り出す作品も、それぞれの表情があって
職人魂を吹き込みながら作られているように思います。
そんな素敵な姿にあこがれて、「編む」っていうことに
興味を持ち始めました。
プロのニットクリエーターさんのレベルになると
自由自在に、ジャズを演奏しているかのように
即興で編めたりするようなのですが、
なんせ初心者なので、見よう見まねでゆっくりと編んでおります。
夢は、編み物の作品と音楽をセットにして作品にすることです♬
DCのジャズシーン
先日ワシントンポストに書かれた記事で、これを見つけました。
秋学期に、直接インタビューをさせてもらったり資料をかき集めて書き上げたケーススタディーにも関連することなのですが、ワシントンDCのジャズもかつての盛り上がりを取り戻しつつあるよ、というお話。
ジャズといえば「ニューヨーク!」と誰もが言いますよね。世界中のトップミュージシャンが集まり、お互いを高め合い、つねに新しい音楽を生み出している。活気があって素晴らしい場所だと思います。ニューヨークに居なくては体験できないこともあります。
でもその事実を知ったうえで思うのは、自分自身の作り出したい音楽というのはこの世界のどこにいても追求できるということ。
そして、自分のお気に入りの場所で自分の好きなことを通して、まちづくりに貢献していきたいなと思っています。
DCにも、
・Thelonious Monk Institution(有名なコンペティションを開催)
・DC Jazz Festival
・Duke Ellington School of Arts
・The Museum of American History(専属バンドやジャズの資料を所蔵)
・The Kennedy Center(Jason Moran監修のジャズプログラム)
などと学術的に盛んな面があります。
また、Washington Women in Jazz Festivalなど、女性のプレイヤーのコミュニティーもあり、活躍する場面もよく見かけます。そして、DC内で若いミュージシャンが集ってジャムセッションをする場所や、ジャズプログラムのある高校や大学も揃っているのです。
だからジャズが好きで、美術館や博物館も好きで、非営利の団体で働きたいと思っている私にはなんだかとても魅力的な場所なのです。
この記事に出てきているHerb Scottというサックスプレイヤーや、DC周辺のジャズイベントをすべてまとめてウェブ上でアップしているCapitalBopの運営者など、他にもたくさんのミュージシャンが非営利のジャズ団体に関わっており、アーツマネジメントを勉強している私にとってDCはとても興味深く、一緒にジャズシーンを盛り上げていきたいなという気持ちでいっぱいです。
Bird by Bird
Anne Lamott著書の「Bird by Bird」です。
教授に教えてもらってさっそく読んでみました。
作家の彼女が、「書き方」と「人生」についての教えを書いた本です。
一番、心にのこったエピソードがこの「Bird by Bird」のアドバイス。
Anneのお兄さんが、鳥についてのレポートを書こうとしていた時のことです。いくらでも時間があったのに締め切りの前の日まで何もせずにいたお兄さんは、途方に暮れていました。そこでお父さんが、「Bird by bird, buddy. Just take it bird by bird.」と言ったのです。膨大な数の鳥のレポートも、はじめの鳥から順に書き始めれば良いよ。それが終わったら、次の鳥へ。
大学院での膨大な量の課題や仕事も落ち着いて順にこなしていけば良いのだと、再確認することができました。
本がとても読みやすくて気に入ったので、インターネットでAnneのことを調べているとTEDでのプレゼンを見つけました。
60歳になったAnneは、この現代社会でプレッシャーに押しつぶされそうになっている若者に向かって「自分の中で確かに知っていること」をすべて書き出しました。決して押し付けがましくない彼女の肯定的な考え方を聞いていると、たとえ不安があってもユーモアを交えて日々生活していきたいなあと思わせてくれます。
もう一つこのプレゼンの中で好きな言い回しを見つけました。
"Laughter really is carbonated holiness"
日本語にしてしまうとこの文の雰囲気がなくなってしまうかなと思うので、あえてこのまま載せておきます。
この文で思い浮かぶのが、Woody Allenの名言で"I am thankful for laughter, exept when milk comes out of my nose."です。時には泣いたり怒ったりすることもあるけど、笑うのは一番楽しいし鼻から牛乳が出るほど笑いたいものです。
アートを取り巻く環境
Howard S. Becker 著書の「Art Worlds」です。
Becker氏は現在89歳でシカゴ大学を卒業したアメリカの社会学者です。もともと1982年に書かれた本ですが、25年記念ということで2008年に加筆をして再出版されたものを読みました。社会学の博士号という肩書を持ちながら、ピアノもプロ並みに弾ける彼は、音楽に限らず幅広いアートの世界を分析しています。
アーツマネジメントという学問を勉強するにあたって、特に気にするようになったことは、その本や記事がいつ・だれによって書かれたのかです。どの分野でもそうですが、特にアメリカでは人種・宗教・立場によって、意見が偏っていることが多々あるからです。
この本の場合は、アメリカ人で白人、社会学者、そして比較的高い地位の著者によって書かれた本ということになります。
約400ページあるこの本では、アーティストを軸としたアートの世界には編集者、消費者、供給者、寄付者、批評などあらゆる人や事が関わっていて、常にinvestigate(事象や問題における真実や原因を究明しようとする)しているコミュニティが存在する、ということを言っている。
逆にアートの無い世界とはどういうものなのか。。
絵も歌も踊りもない。日常にアートがなければ、「無」になってしまうのではないかと感じるくらい、アートは私たちの生活に密接しています。
Becker氏は、誰がアートをアートだと認識するのか、その価値は誰がつけるのか、アーティストは観客のウケをねらって作品を作るべきなのか、この社会でのアーティストと作品の在り方を模索しています。
この答えには正解も間違いもありません。
高校生の時に、私の演奏は「一般受けしない」と言われたことがありました。オーディエンスにウケるスタイルで演奏するか、自分のスタイルを突き通すかはアーティストの選択です。
知識の無いひとたちが好むアートと、その分野を専門とするアーティストが追求するアートにギャップがあることは多々あります。それは、絵画でもダンスでも音楽でも起こりえることなのです。
そのギャップをいかにしてつなぎとめるのか、新たなコミュニティー形成のために役立てることができるのか、それを実現させることができるのがアートマネジャーだと思っています。
答えのない、このArt Worldの実態を究明しつづけるのがアーティストとその周りの人々です。この問いを社会学の視点で分析している、とても面白い本でした。