芸術と政治③
過去の記事
二年前くらいから芸術と政治のトピックについて学び始め、アメリカの大恐慌の時代やその後の動きについて本を読み始めていた矢先、自分の生きる時代に「COVD-19」の流行でこんなにも自分とその周りの生活が変わるとは思っていなかった。
私が関わっていた非営利団体は無期限で活動中止になり、毎週演奏していた教会はオンラインでのサービスに代わり、仕事は完全リモート。予定していたリハーサルやギグもキャンセルされ、犬の散歩と食材調達以外で外に行くことはない。
感染予防のため沢山の人が集まるようなアーツイベントは次々に中止になり、それに携わる人は仕事や機会を失うことになっています。
ワシントンDCで一番大きなパフォーミングアーツセンターといえば、ケネディーセンター。ワシントンポストの記事によれば、年に多くのコンサートや教育イベントを行っているこの場所でも、多くのスタッフの解雇は避けられなかったよう。
アーツマネジメントを学ぶなかでケーススタディとして取り上げられたり、近くのパフォーミングアーツセンターとして内部見学やセミナーで訪れていたので驚きは隠せません。どんな団体でも経営が上手くいく時とそうでない時があり、もがいていた時の記録はのちの参考にはなるけれど、この状況では今までになかったような対策と決断が必要になるだろうと思う。
この新型ウイルスの感染に加えて大量の失業と人種差別についての講義デモという3つの大きな社会問題が存在し、それに対して「自分は何ができるか」と考えている人も少なくないと思いますが、アーティストをはじめとした芸術に関わる人々も、いつもと違う生活を強いられている中でもがいています。
政治や社会で起きていることには関係なく作品を生み出す人ももちろんいるし、国の援助によって生まれるアートや、社会の中で必要だろうと考えられて加わる必須教科もあります。
WPAによって雇用されたライターの話
演奏機会を失いつつも、音楽を通して「Justice」に関する動きをサポートしているミュージシャンについて
アメリカで一番大きな公立大学で「Social Justice」が必須科目となるかもしれないというニュース
ここ数年「Jazz for Justice」という活動に関わってきたこともあり、Social Justiceについての問題が世界全体でかなり大きく取り上げられている現状を目の当たりにして、社会問題が芸術という分野に与える影響の大きさを実感。今後も、自分の周りで起きていることについて書いていく予定です。
人種差別問題/ソーシャルメディアを通しての抗議運動について思うこと
日本でどの程度報じられているのか分かりませんが、今アメリカでは人種差別への抗議運動が過激化しています。この動きについては、私自身も考え方やSNSで出回っている情報について整理をしている最中です。でも、日を追うごとに全米で色んな事件が起きて沢山の人がそれぞれの主張を述べているのを見ていて、私も地球に住む一人の人間として正しい情報の収集と出来る限りの協力をしていかなくてはと感じています。
黒人のクラスメイト
アメリカで過ごした大学時代、クラスにはいつも何名かの黒人の生徒が居ました。今思うと、彼らはいつも黒人としての意見を主張している事が多かったように思います。私自身クラスでは唯一のアジア人+留学生であることがほとんどだったので、別格の意見として捉えられることが多かったけど(差別されていたわけではなく)黒人生徒も100%白人生徒と同じ立ち位置だったかというと少し疑問に思うところがありました。同じアメリカ人なのに、白人の生徒が多い学校ということもあってか黒人枠が作られていたような気がします。
アメリカの歴史
2019年の冬にピッツバーグのゲティスバーグに行きました。DCからおよそ一時間北へ進んだ場所です。アメリカに6年間居ながら、大学の授業以外でアメリカの歴史を学んでいなかったので良い機会だったと思います。その頃ちょうど岩波新書から出ている南北戦争の時代という本を読み、ゲティスバーグの戦いという映画を観て、現地では南北戦争史上最大の激戦が繰り広げられた地を目にし、リンカーン大統領の演説について学びました。
南北戦争が終わって奴隷制度が廃止されたけれども、南北が和解したというのは実は黒人を犠牲にして南北の白人が和解をしたというべき。アメリカの州が分裂することは避けられたけど人種の対立というのは無くならなかったので、20世紀になっても大問題として発展したのです。
ハッシュタグを使っての抗議運動は必要だった?
2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性のGeorge Floydさんが白人の警察官に首を押さえつけられて死亡した事件がありました。この事件を受けて、アメリカの音楽業界がハッシュタグを用いた抗議運動への参加を呼びかけました。実際に「BlackOutTuesday」というハッシュタグは多くの人に支持され、私のタイムライン上でもかなりの数の真っ黒なスクリーンが流れてきました。
ここ数日、このハッシュタグに限らず過激な主張やニュースを目にします。もちろん、尊敬するミュージシャンや先生・友達がそれぞれの判断でシェアしているものなので否定はしませんが、個人的にはこのハッシュタグの運動をサポートすべきかどうか悩みました。SNS上で発言することにより、「自分はこの考えを支持します!」「自分はこんな活動をしてます!」と周りに主張できるわけですが、そんなSNSで簡単に発信できるからこそ、私はその行動をためらってしまうのです。
今回の件で言うと、この「BlackOutTuesday」というハッシュタグは「音楽業界の利益の大半はブラックアートによるものであり、黒人コミュニティーの努力や成功の恩恵を受けている業界全体は責任を持つべきだ。」という考えによって生まれました。もちろん、ハッシュタグを使ったソーシャルムーブメントは大勢にシェアされるし意味のあるものであったと思いますが、本当にすべきことはソーシャルメディアを一時的にシャットダウンすることではなくて、もっとインパクトがあって持続可能なことなのではないかと思うのです。例えば黒人コミュニティーを支援する団体に寄付金を送ったり、音楽業界の中でも問題視されているストリーミングサービスのサブスクリプションを解除したり、音楽業界の黒人の人々をサポートする方法は他にもあります。
「みんなが投稿しているから」という理由だけで真っ黒な正方形を投稿しても、皆が望んでいるであろう「人種差別のない世界」には近づけません。Raise Awarenessを目的とするソーシャルムーブメントも、「より多くの人に拡散する」だけではなくて「より多くの人が問題を身近に感じられるようになる/自分にも関係のある問題として考えられる」ような効果があれば意義のある運動になるのではないでしょうか。そして本当に現状を変えたいという想いがあるのならば、投稿する前に「本当に必要な投稿なのか?」を考え直して必要とされているサポートをして欲しいと思います。
私達にできること
SNS上でこの現状を目にするも、何を感じれば良いのか・何をすれば良いのか分からない人は沢山いると思います。私たちの住む地球上で起こっている問題として少しでも興味を持った人には、アメリカの歴史を知って今どんな事が起きているのかを見てもらいたい。そして、この動きは黒人に対する差別問題のみでなく地球に存在する全人類の人権に通ずる問題であることを意識して欲しいと考えています。
黒人ではない。アメリカに住んでいない。差別を目の当たりにしたことがない。
という人は存在すると思います。私も黒人ではないし、悪意のある差別を日々受けているわけではありません。とある記事には、「黒人である私でさえ、差別を100%してこなかったか?と聞かれたらなんとも言えない。」という声が書かれていました。差別というのは肌の色だけに関係することではなくて、性の違い・年齢・使う言葉など色んなカテゴリーにおいて起きていることです。でも、過去の歴史を見てみると現在強く問題視されている黒人に対する人種差別は特に酷いものであり、全世界の人々の意識が変わらなければ!と抗議運動が起きているのです。
これらの真実を知らないことは罪ではなく、少しずつでも知ることによって一人ひとりの視野が広がれば良いと思っています。
下記のツイッターのスレッドには、アメリカで起きた黒人差別の歴史的背景がまとめられています。英語が分からなくても、年号と写真を追っていくだけで人々が不当に命を失って抑圧されてきたということが見れると思います。
This #thread is for those of you struggling to comprehend that the recent murders are just a fraction of racial violence in the United States. We are protesting for #GeorgeFloyd #BreonnaTaylor, #AhmaudArbery AND hundreds of years of oppression.
— Erica B. (@ericabuddington) May 30, 2020
Let's begin your history lesson. pic.twitter.com/BiO7EbCbLo
こちらのアカウントでは、「アメリカ(と世界)が目指すべき指針が書かれていたと感じたので、ぜひ日本語話者の方にも読んでもらいたい」という想いからオバマ前大統領のブログポストが翻訳されています。
https://instagram.com/p/CA7Oi7MD6Vo/
歴史に残る激しい対立が幾度となく起こっても、まだ存在する差別問題。これ以上人間が人間を傷つけるようなことが続いて欲しくない。他の国に住む人と簡単に連絡が取れるこの時代に、みんなが歩み寄って日常に潜む違和感を消していけたら・・と切に願います。国籍・人種・文化・言語の違いを互いに認め合える優しい世界になって欲しい。
新型ウイルスのパフォーミングアーツへの影響
アメリカでは、日本で感染者が発見されてから二週間ほど遅れて新型コロナウイルスの影響が出始めました。私の住む地域では、可能な限り外出禁止するよう呼びかけられています。3月20日の時点でアメリカで確認されている感染者の数は約15000人。そのうち死者は約200人いるらしい。ニュースなどでもこの数は今後も増えていくだろうと言われています。
この新型ウイルスはどの業界にもかなりの影響を及ぼしていますが、ご多分に漏れず芸術の世界もひどく打撃を受けることになってしまいました。ほとんどのパフォーミングアーツセンターやローカルべニューは当分の間公演を中止にせざるを得なくなり、職員やアーティストの一時解雇を決めた団体も多いようです。多くのコミュニティーでは、この外出禁止の期間も無料動画配信などでオーディエンスへのサービスを続け、収入減を補うために資金の調達をしています。
JAZZ GIRLS DAY DC
今回影響を受けた団体の一例として、Jazz Girls Day DCというイベントも3月20日に行われる予定でしたが、今年は中止となってしまいました。私も運営側+講師として関わっているのですが、本来ならばジャズを学びたい女の子達を対象とし、コミュニティーの輪を広げるための催し物です。結果として、Zoomというアプリを使ってウェブセミナーのような形でイベントを行うことに。第一回目には、ジャズ界の女性ミュージシャンの歴史や紹介。二回目以降は、実際に楽器を持って参加してもらいます。希望者には、オンラインでのマンツーマンレッスンも行うことに。参加者の数は予定よりも少なくなってしまいましたが、この大変な状況でもコミュニティーが存在する限り少しでも生徒さんの力になれると信じています。
オンライン授業やリモートワークは今まで以上に注目されており、アーツマネジャーのコミュニティーでは、この緊急事態に対して何ができるのか日々議論されています。
私はというと仕事で出来ることが減って家で待機しなくてはいけないため、時間に余裕ができました。この際、自分に何ができるのかゆっくり考えてみたいと思います。
芸術と政治②
前回は、私が芸術と政治について知りたいと思うようになった時のエピソードと、ジャズ教育の中で扱うと良いなと個人的に思う本について紹介した。今回は、ジャズというジャンルにとらわれずにアメリカ国内における「芸術」と「アーティスト」にフォーカスしたいと思う。
(ちなみにこの芸術と政治シリーズは私の思いついたトピックを自分用の記録として随時足していく予定)
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今となっては「自由の国」というイメージのアメリカだが、そのイメージは徐々に形成されたもの。その変化を、年代ごとの特徴とともに(超)簡単に順を追って整理したいと思う。
New Deal Art During the Great Depression
1920年代の始まり
- 生活の質や年収の格差がかなりあった
- 娯楽として、テレビや人気に。
- ジャズは少数派の音楽から大衆の音楽へと変化
- 田舎に比べると、ニューヨークなどの街の発展は著しかった
- 移民の制限が始まった
1930年ー1940年代
- 地位やお金のない人々が政治の発展に影響を与えた
- 世界大恐慌
- WPA(公共事業促進局)の発足
- 共産党
1940年ー1960年代
- 第二次世界大戦後、アーティストはヨーロッパからアメリカへ来ていた
- 冷戦中の外交政策としてCIAによる文化交流プログラムが始まる
The Federal Theatre Project was run by the Works Progress Administration (WPA)
ここでは、私のイメージを書いていますが今後の記事でWPAや外交政策の詳細や人々の暮らしについては触れていきたいと思っています。
アメリカはの政府はWPAの設立を皮切りに外交目的で芸術というツールに着目し、失業者にも目を向けるようになりました。実際、WPAは5年くらいしか続かなかったにも関わらず今でもモデルとして使われており、かなりのインパクトを残しました。
この時代のことを知るのに、とても良かった映画があります。
「Cradle Will Rock」
ティム・ロビンス監督、脚本の映画で1999年に公開されました。
トレイラーはこちら。
失業者が沢山いた世界大恐慌後のアメリカではニューディールの一環として政府がWPA (Works Progress Administration)を設立し、公共事業を実施。そのプログラムの1つにフェデラルシアタープロジェクトというのがあり、オーソン・ウェルズ演出担当の「Cradle Will Rock」が上演されることになる。オーソンはシェークスピアのファンで、3本映画化をしたという。Cradle Will Rock は日本語で「ゆりかごは揺れる」と訳されていて、政府によって中止を言い渡された唯一のミュージカルである。
公演の中止は共産主義的な内容を含むことが原因だったが、それでも何とか実施しようと奮闘する労働者や周りの人々を描く。この物語に平行してメキシコの画家ディエゴ・リベラがロックフェラーに反発してこれまた共産主義的な画を描くが、無残にも壁ごと叩き壊されるという話もある。
芸術を表現のツールとして使うアーティストたちと、芸術を政策のツールとして使おうとする政府。働き口がなくて必死にもがく労働者たちに必要だったのは個人の主張を表現できる機会。だけど、その資金を出していた政府はあまりにも左翼的に流れて行ったこのプロジェクトを止めざるを得なくなってしまった。
実際に公演を実施したシアターのハウスマンが当時の様子を語る映像もあります。
ところどころミュージカル調な部分もありつつ、この時代について知りたい方にはお勧めの作品。私自身もこの映画を久しぶりに観て、最近のアーツマネジメントと政府の関わりについてもっと深く知りたいと思いました。
芸術と政治①
芸術というのは私達の日常から遠く離れることもできるが、密接することもできる。人間の生活に関係のあるものだからこそ政治や社会の関心が芸術に大きく影響することもある。
私自身、ワシントンDCという政治都市に住むことでニューヨークやニューオリンズ、ロサンゼルスなどとは違う視点でジャズを含む芸術を見つめることが出来ているように感じます。今後、芸術と政治に関わることを少しずつ書いていけたらと思っています。
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2011年の冬にジャズのプライベートレッスンを受けていた先生のスタジオで1枚の写真を見かけた。
それはエジプトのスフィンクスと先生のジャズバンドが写っていている写真。
「あれ、これって?どこかで見たことあるような。。」
と思っていると、先生が「ジャズトランペット奏者ルイ・アームストロングが1961年に外交政策の一環で訪れたエジプトにスミソニアンのツアーで行ったんだよ」と。
私が見たことあった写真はこれ。初めて見た時には、スフィンクスと写っているイカした写真だな~くらいにか思っていなかったのだけど、この時代のジャズと政策について少し教えてもらってから、もっと勉強しようと決意した。
残念ながらジャズを使った外交について扱っている日本語の資料はほとんどみかけないが、2017年に発売された政治学者の齋藤 嘉臣氏による「ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史」はここで紹介しておきたい。
この本では、政治学の博士号を持つ齋藤 嘉臣氏が当時「ジャズ大使」と呼ばれていたジャズミュージシャンとその周りの社会状況について詳しく書いています。参考文献の充実ぶりでこの本の真剣さが伝わってくる。
それに加えて「アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで」という本も政治や文化を交えたアメリカの音楽について学べるのでよかった。
せっかくジャズを大学・大学院まで学ぶのなら、学生達にはこういう知識を学ぶ機会もあると良いと思う。日本語での文献は貴重なのでジャズの歴史を学ぶクラスかなんかの課題図書にしても良いくらいだ。
スミソニアンのジャズバンドがエジプトにツアーへ行ったのは、ルイアームストロングが訪れた47年後の2008年。約50年経った今でも同じ音楽を通して交流の場を設けることができるのはすごいことだと思った。
当時のプレスリリースによるとジャズバンドはシンガー・スウィングダンサーと共にパフォーマンスを行い、加えてアメリカ歴史博物館のディレクターだったBrent Glassによるレクチャー「Shedding Light on American History」とジャズキュレーターのJohn Hasse によるレクチャー「Louis Armstrong: American Genius」も行われたようだ。
芸術は社会や政治と共に変化し、今まで積み重なってきたものなのだと考えさせられる。
Staycation 地域活性
夏になると、飛行機やクルーズでバケーションを楽しみに行く人も多いでしょう。
長期休暇を利用して、普段はなかなか行けない場所に行くのも一つの楽しみ。
でも、「Staycation」というのを聞いたことはありますか?
Stay(留まる)+Cation(休暇)という二つの単語が合わさった造語で、自宅やその周辺で休暇を過ごすという意味で使われています。
日本でも最近は「グランピング」が流行っているようですが(豪華なキャンプスタイルで天候などを気にせずに設備の整った環境でキャンプを楽しむことができる)都内に住んでいる人でも、キャンプ用品を揃えたり遠出しなくても気軽にアウトドアを体験できて人気のようです。
Staycationは私も二年前に聞いた言葉でしたが、ここ十年くらい経済不振やガソリン代高騰などの理由で先進国で広まっているみたい。
実際、Staycationの良いところもあるのかなと思います。長い旅にかけるお金や時間がない時、近くにあって気になっていたけど行ったことのないレストランや美術館、降り立ったことのない駅にある歴史的建造物に行ってみるのも良いかも。そんな時代の流れに合わせて、Staycationの機会を充実させることに重点を置くお店や美術館、博物館も少なくありません。
友達が紹介してくれたのは、「DC Summer Passport Program」。私はお酒を一切飲まないので残念ながらご一緒できなかったけど、$25でこのパスポートを買うとDC中にある62店舗のバーでドリンク一杯の値段で二杯もらえるというお得なシステム。友達同士で買って、今まで行ったことのないバーに足を運ぶ機会にもなってとても良いと思う。
私はというと、ワシントンモニュメントに映し出されるプロジェクトマッピングを見に行こうと思います。
ニール・アームストロングが月面着陸をしてから50年。それを記念して巨大ロケットが映し出されるようなのです。(かっこいい!)
「Apollo 50: Go for the Moon」と名付けられた特別なショーで、スミソニアン航空宇宙博物館主催です。50年前の感動は体験できなかったので、この迫力あるプロジェクトマッピングが楽しみ。
ということで、今年の夏はワシントンDCでStaycationを満喫したいと思います。
私のNPO(非営利団体)との出会い
今でこそ専門的に勉強をし始めた、非営利団体(NPO)のこと。
私が初めてNPOについて学びたいと思うようになった経緯を書きたいと思います。
NPOとの出会いは、アメリカとの出会いでもありました。
英語との出会い
私は2歳から高校1年生までの間、ラボ教育センターが運営するラボパーティーという教室で英語に触れてきました。英語の文法を習うというよりは、物語や音楽を通して英語で表現することを学ぶ活動です。
小さい子供から大学生までが一緒になって英語の劇を作りあげたり、ハロウィーンやイースターなどの様々なイベントを通して外国の文化を学ぶ体験は今思うと貴重な体験だったし、沢山のことを学びました。私の英語の土台を作れたのは、この活動のおかげです。
アメリカでのホームステイ/大学留学を意識し始めたきっかけ
2006年、中学2年生の夏休みに一ヵ月間アメリカのコロラド州というところでホームステイをしました。受け入れをしてくれたご家族は、農業を営むとても暖かい家族。
HelloとThank youしか言えない私の面倒を見てくれて、人生で初めての親の元を離れるという経験を支えてくれました。そして、このホームステイプログラムの提携先がNPOとして活動している「4H」という団体だったのです。
National 4H Council は国からの援助もあるので少し複雑ですが、「より良い農村や農業を創るための活動」を支援する非営利の組織です。
この組織を通してホストファミリーを紹介してもらい、現地の学校でジャズバンドの練習に参加させてもらったり、カウンティ―フェアなどのイベントにも参加しました。
帰国/国際協力への興味
一ヵ月のホームステイ体験を経て帰国した頃から、国際協力に興味を持ち始めます。当時は漠然と、JICA(国際協力機構)の存在、JICAがNGO/NPOとの連携をしていることなどを知っている程度でした。
大学留学時代
中学生の頃経験したホームステイ、中学の修学旅行で行ったイギリス研修で海外への興味は深まり、アメリカの大学で勉強しようというのはすでに頭の中にありました。
いざ、留学すると師事していた教授が自身のNPOを運営していたこと、それに加えてジャズのイベントを交えながら国際協力への活動をしていたことにより、NPO×JAZZの可能性をもっと突き詰めてみたいなと思うようになりました。
留学当初からアメリカの首都であるワシントンDCの近くにいたこともあり、NPOがいかにアメリカの歴史、文化政策と関連しているかということを肌で感じ、NPOのマネジメント、特に文化に特化した勉強ができる大学院で学ぶことを決めたのです。