ゆるアーツジャーナル

ジャズ/アーツマネジメント/日々感じることを綴っています。

ビッグバンド最高峰の作曲家・アレンジャー Sammy Nestico

ビッグバンド最高峰の作曲家・アレンジャー、そしてトロンボーン奏者であるSammy Nestico氏が2021年1月17日に亡くなりました。

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(By Official Facebook page)

 

ビッグバンドに所属していれば、一度は彼のアレンジメントを演奏したことあるのではないでしょうか。私自身も、初めてネスティコ氏のアレンジメントを聞いたのは中学生の頃でした。それ以来、高校・大学・大学院と所属してきたバンドでは必ず演奏してきました。

 

Sammy Nestico氏の簡単な経歴

1924年、ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれる。
高校生の頃、トロンボーンの演奏を始める。
17歳で初めてのアレンジを書き、アメリカ放送会社でアレンジャーを務める。Duquesene UniversityのMusic Education学科を卒業。
1950年代~1960年代初期、The Airmen of Note(アメリカ空軍バンド)の専属アレンジャーを15年を務める。その後もU.S. Marine Bandに入隊後、ジョンソン政権とケネディ政権のもとWhite House Orchestra (大統領直属のバンドとされる)のチーフ編曲・指揮者として5年間務める。
1967年~1984年、Count Basie Orchestraのアレンジャーとして活躍。

 

1950年、グレンミラーのルーツを受け継ぐ形でワシントンDCを拠点とする、The Airmen of Noteというバンドが作られました。そのバンドは、ネスティコ氏のアレンジメントでより進化した新たな時代のジャズを演奏し始めます。Count Basie Orchestraのアレンジャーとして知られるネスティコ氏ですが、実はその前のキャリアとして20年もの間アメリカ軍のバンドの音楽に携わってきたのです。

 

私の大学時代の恩師であるAlan Baylock氏は、ネスティコ氏の座を引き継いでThe Airmen of Noteのアレンジを担当してきたジャズアレンジャーでした。大学で受けた作曲・編曲の授業やアンサンブルのクラスではネスティコ氏の音楽が例に出されることも多く、沢山のことを学ぶことができました。

 

最後にShenandoah Conservatory Jazz Ensembleで2014年に行った、Sammy Nesticoのトリビュートコンサートを見つけたのでリンクを貼り付けておきます。(もう6年以上も前のことなんて、、)

www.youtube.com

 

芸術と政治③

過去の記事

芸術と政治① 

芸術と政治②

 

二年前くらいから芸術と政治のトピックについて学び始め、アメリカの大恐慌の時代やその後の動きについて本を読み始めていた矢先、自分の生きる時代に「COVD-19」の流行でこんなにも自分とその周りの生活が変わるとは思っていなかった。

 

私が関わっていた非営利団体は無期限で活動中止になり、毎週演奏していた教会はオンラインでのサービスに代わり、仕事は完全リモート。予定していたリハーサルやギグもキャンセルされ、犬の散歩と食材調達以外で外に行くことはない。

 

感染予防のため沢山の人が集まるようなアーツイベントは次々に中止になり、それに携わる人は仕事や機会を失うことになっています。

 

ワシントンDCで一番大きなパフォーミングアーツセンターといえば、ケネディーセンター。ワシントンポストの記事によれば、年に多くのコンサートや教育イベントを行っているこの場所でも、多くのスタッフの解雇は避けられなかったよう。

 

アーツマネジメントを学ぶなかでケーススタディとして取り上げられたり、近くのパフォーミングアーツセンターとして内部見学やセミナーで訪れていたので驚きは隠せません。どんな団体でも経営が上手くいく時とそうでない時があり、もがいていた時の記録はのちの参考にはなるけれど、この状況では今までになかったような対策と決断が必要になるだろうと思う。

 

この新型ウイルスの感染に加えて大量の失業と人種差別についての講義デモという3つの大きな社会問題が存在し、それに対して「自分は何ができるか」と考えている人も少なくないと思いますが、アーティストをはじめとした芸術に関わる人々も、いつもと違う生活を強いられている中でもがいています。

 

政治や社会で起きていることには関係なく作品を生み出す人ももちろんいるし、国の援助によって生まれるアートや、社会の中で必要だろうと考えられて加わる必須教科もあります。

 

WPAによって雇用されたライターの話

lithub.com

演奏機会を失いつつも、音楽を通して「Justice」に関する動きをサポートしているミュージシャンについて

www.blackexchange.co

 

アメリカで一番大きな公立大学で「Social Justice」が必須科目となるかもしれないというニュース

www.npr.org

 

ここ数年「Jazz for Justice」という活動に関わってきたこともあり、Social Justiceについての問題が世界全体でかなり大きく取り上げられている現状を目の当たりにして、社会問題が芸術という分野に与える影響の大きさを実感。今後も、自分の周りで起きていることについて書いていく予定です。

 

新型ウイルスのパフォーミングアーツへの影響

アメリカでは、日本で感染者が発見されてから二週間ほど遅れて新型コロナウイルスの影響が出始めました。私の住む地域では、可能な限り外出禁止するよう呼びかけられています。3月20日の時点でアメリカで確認されている感染者の数は約15000人。そのうち死者は約200人いるらしい。ニュースなどでもこの数は今後も増えていくだろうと言われています。

 

この新型ウイルスはどの業界にもかなりの影響を及ぼしていますが、ご多分に漏れず芸術の世界もひどく打撃を受けることになってしまいました。ほとんどのパフォーミングアーツセンターやローカルべニューは当分の間公演を中止にせざるを得なくなり、職員やアーティストの一時解雇を決めた団体も多いようです。多くのコミュニティーでは、この外出禁止の期間も無料動画配信などでオーディエンスへのサービスを続け、収入減を補うために資金の調達をしています。

 

JAZZ GIRLS DAY DC

今回影響を受けた団体の一例として、Jazz Girls Day DCというイベントも3月20日に行われる予定でしたが、今年は中止となってしまいました。私も運営側+講師として関わっているのですが、本来ならばジャズを学びたい女の子達を対象とし、コミュニティーの輪を広げるための催し物です。結果として、Zoomというアプリを使ってウェブセミナーのような形でイベントを行うことに。第一回目には、ジャズ界の女性ミュージシャンの歴史や紹介。二回目以降は、実際に楽器を持って参加してもらいます。希望者には、オンラインでのマンツーマンレッスンも行うことに。参加者の数は予定よりも少なくなってしまいましたが、この大変な状況でもコミュニティーが存在する限り少しでも生徒さんの力になれると信じています。

 

オンライン授業やリモートワークは今まで以上に注目されており、アーツマネジャーのコミュニティーでは、この緊急事態に対して何ができるのか日々議論されています。

 

私はというと仕事で出来ることが減って家で待機しなくてはいけないため、時間に余裕ができました。この際、自分に何ができるのかゆっくり考えてみたいと思います。

 

ジャズのレコード「トリのデザイン」

ライブ・CD・Youtube・オンラインストリームサービス・・

今時ジャズを聴く方法は沢山あります。

先日アメリカの小学生たちにレコードを聴いてもらう機会があり、半数以上がレコードの存在を知らないということがありました。もちろん私もレコードよりはCDやipodなどの音楽デバイスに入った音楽を聴くことの方が多いし、所有するレコードも70枚ほど。

ここ数年、日本でもアナログブーム再熱で雑誌でレコードが聴けるお店を紹介するコーナーがあったり、インテリア雑誌でレコードプレイヤーが置かれている写真を目にしたりします。たとえ流行りの「映え」のために注目されていたとしても、その魅力を知ってもらい、レコードを手にする人が増えるのは良いことかなと感じています。(実際に私はCDより大きいレコードはコレクションするには、かわいいと思ってます)

 

今日は、以前私がジャケ買いした「トリのデザイン」のレコードたちを紹介。

なぜか私はトリのデザインに惹かれてしまうのです。

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チャーリーバード 「Blue Byrd」
1979年 Concord Jazz
ヴァージニア出身のギタリストチャーリーバードは、バードというだけあってジャケットデザインはトリが多め。落ち着きのあるトリオのボサノバ演奏が魅力です。

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チャーリーバード「Latin Byrd」
1973年 Fantasy Record
またもやチャーリーバード。管楽器も加えた演奏がとても良い。異国の地でバケーションを楽しんでる気持ちにさせてくれます。

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エディーダニエル「To Bird with Love」
1990年 Grp Records
エディーが、お父さんへジャズのレコードを幼い頃に買ってくれてありがとうという気持ちを込めて作った作品。私はEast of the Sunがお気に入り。

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シェリーマン「The Three & The Two」
1954年 Contemporary
The Threeのレコードは、ドラム・トランペット・サックス/クラリネットをフィーチャー。The Twoのレコードは、ドラムとピアノのデュオ。ジャズスタンダードやオリジナルコンポジションを使って、実験的な演奏をしているのが印象的。いわゆるビバップのような演奏ではなくて、フリーに近い独自の解釈がされたスタンダードを楽しめる。

 

現代の私たちがジャズのことを知るための教材は、映像・オーラルヒストリー・写真・年長のミュージシャン達の話など。それに加えて当時のジャズミュージシャンたちのエッセンスを感じることを可能にしてくれるレコードは、今となってはとても貴重なもの。

レコードを聴く人が少なくなっているなか、まだレコードが存在するうちに多くの人に楽しんでもらいたいなと思います♪今後もテーマ別に私の所有するレコードを紹介していきます。

芸術と政治②

前回は、私が芸術と政治について知りたいと思うようになった時のエピソードと、ジャズ教育の中で扱うと良いなと個人的に思う本について紹介した。今回は、ジャズというジャンルにとらわれずにアメリカ国内における「芸術」と「アーティスト」にフォーカスしたいと思う。

(ちなみにこの芸術と政治シリーズは私の思いついたトピックを自分用の記録として随時足していく予定)

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今となっては「自由の国」というイメージのアメリカだが、そのイメージは徐々に形成されたもの。その変化を、年代ごとの特徴とともに(超)簡単に順を追って整理したいと思う。

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New Deal Art During the Great Depression

 

1920年代の始まり

  • 生活の質や年収の格差がかなりあった
  • 娯楽として、テレビや人気に。
  • ジャズは少数派の音楽から大衆の音楽へと変化
  • 田舎に比べると、ニューヨークなどの街の発展は著しかった
  • 移民の制限が始まった

1930年ー1940年代

  • 地位やお金のない人々が政治の発展に影響を与えた
  • 世界大恐慌
  • WPA(公共事業促進局)の発足
  • 共産党

1940年ー1960年代

  • 第二次世界大戦後、アーティストはヨーロッパからアメリカへ来ていた
  • 冷戦中の外交政策としてCIAによる文化交流プログラムが始まる

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The Federal Theatre Project was run by the Works Progress Administration (WPA)

 

ここでは、私のイメージを書いていますが今後の記事でWPAや外交政策の詳細や人々の暮らしについては触れていきたいと思っています。

アメリカはの政府はWPAの設立を皮切りに外交目的で芸術というツールに着目し、失業者にも目を向けるようになりました。実際、WPAは5年くらいしか続かなかったにも関わらず今でもモデルとして使われており、かなりのインパクトを残しました。

 

この時代のことを知るのに、とても良かった映画があります。

「Cradle Will Rock」

ティム・ロビンス監督、脚本の映画で1999年に公開されました。

トレイラーはこちら。

www.youtube.com

 

失業者が沢山いた世界大恐慌後のアメリカではニューディールの一環として政府がWPA (Works Progress Administration)を設立し、公共事業を実施。そのプログラムの1つにフェデラルシアタープロジェクトというのがあり、オーソン・ウェルズ演出担当の「Cradle Will Rock」が上演されることになる。オーソンはシェークスピアのファンで、3本映画化をしたという。Cradle Will Rock は日本語で「ゆりかごは揺れる」と訳されていて、政府によって中止を言い渡された唯一のミュージカルである。

公演の中止は共産主義的な内容を含むことが原因だったが、それでも何とか実施しようと奮闘する労働者や周りの人々を描く。この物語に平行してメキシコの画家ディエゴ・リベラがロックフェラーに反発してこれまた共産主義的な画を描くが、無残にも壁ごと叩き壊されるという話もある。

 

芸術を表現のツールとして使うアーティストたちと、芸術を政策のツールとして使おうとする政府。働き口がなくて必死にもがく労働者たちに必要だったのは個人の主張を表現できる機会。だけど、その資金を出していた政府はあまりにも左翼的に流れて行ったこのプロジェクトを止めざるを得なくなってしまった。

 

実際に公演を実施したシアターのハウスマンが当時の様子を語る映像もあります。

www.youtube.com

 

ところどころミュージカル調な部分もありつつ、この時代について知りたい方にはお勧めの作品。私自身もこの映画を久しぶりに観て、最近のアーツマネジメントと政府の関わりについてもっと深く知りたいと思いました。

 

 

 

 

芸術と政治①

芸術というのは私達の日常から遠く離れることもできるが、密接することもできる。人間の生活に関係のあるものだからこそ政治や社会の関心が芸術に大きく影響することもある。

私自身、ワシントンDCという政治都市に住むことでニューヨークやニューオリンズ、ロサンゼルスなどとは違う視点でジャズを含む芸術を見つめることが出来ているように感じます。今後、芸術と政治に関わることを少しずつ書いていけたらと思っています。

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2011年の冬にジャズのプライベートレッスンを受けていた先生のスタジオで1枚の写真を見かけた。

 

それはエジプトのスフィンクスと先生のジャズバンドが写っていている写真。

「あれ、これって?どこかで見たことあるような。。」

と思っていると、先生が「ジャズトランペット奏者ルイ・アームストロングが1961年に外交政策の一環で訪れたエジプトにスミソニアンのツアーで行ったんだよ」と。

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この写真についての記事 by Amro Ali

 私が見たことあった写真はこれ。初めて見た時には、スフィンクスと写っているイカした写真だな~くらいにか思っていなかったのだけど、この時代のジャズと政策について少し教えてもらってから、もっと勉強しようと決意した。

 

残念ながらジャズを使った外交について扱っている日本語の資料はほとんどみかけないが、2017年に発売された政治学者の齋藤 嘉臣氏による「ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史」はここで紹介しておきたい。

この本では、政治学の博士号を持つ齋藤 嘉臣氏が当時「ジャズ大使」と呼ばれていたジャズミュージシャンとその周りの社会状況について詳しく書いています。参考文献の充実ぶりでこの本の真剣さが伝わってくる。 

 

それに加えて「アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで」という本も政治や文化を交えたアメリカの音楽について学べるのでよかった。

 

せっかくジャズを大学・大学院まで学ぶのなら、学生達にはこういう知識を学ぶ機会もあると良いと思う。日本語での文献は貴重なのでジャズの歴史を学ぶクラスかなんかの課題図書にしても良いくらいだ。

 

スミソニアンのジャズバンドがエジプトにツアーへ行ったのは、ルイアームストロングが訪れた47年後の2008年。約50年経った今でも同じ音楽を通して交流の場を設けることができるのはすごいことだと思った。

当時のプレスリリースによるとジャズバンドはシンガー・スウィングダンサーと共にパフォーマンスを行い、加えてアメリカ歴史博物館のディレクターだったBrent Glassによるレクチャー「Shedding Light on American History」とジャズキュレーターのJohn Hasse によるレクチャー「Louis Armstrong: American Genius」も行われたようだ。

 

芸術は社会や政治と共に変化し、今まで積み重なってきたものなのだと考えさせられる。

私のNPO(非営利団体)との出会い

今でこそ専門的に勉強をし始めた、非営利団体(NPO)のこと。

私が初めてNPOについて学びたいと思うようになった経緯を書きたいと思います。

 

NPOとの出会いは、アメリカとの出会いでもありました。

 

英語との出会い

私は2歳から高校1年生までの間、ラボ教育センターが運営するラボパーティーという教室で英語に触れてきました。英語の文法を習うというよりは、物語や音楽を通して英語で表現することを学ぶ活動です。

小さい子供から大学生までが一緒になって英語の劇を作りあげたり、ハロウィーンやイースターなどの様々なイベントを通して外国の文化を学ぶ体験は今思うと貴重な体験だったし、沢山のことを学びました。私の英語の土台を作れたのは、この活動のおかげです。

 アメリカでのホームステイ/大学留学を意識し始めたきっかけ

2006年、中学2年生の夏休みに一ヵ月間アメリカのコロラド州というところでホームステイをしました。受け入れをしてくれたご家族は、農業を営むとても暖かい家族。

HelloとThank youしか言えない私の面倒を見てくれて、人生で初めての親の元を離れるという経験を支えてくれました。そして、このホームステイプログラムの提携先がNPOとして活動している「4H」という団体だったのです。

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National 4H Council は国からの援助もあるので少し複雑ですが、「より良い農村や農業を創るための活動」を支援する非営利の組織です。

この組織を通してホストファミリーを紹介してもらい、現地の学校でジャズバンドの練習に参加させてもらったり、カウンティ―フェアなどのイベントにも参加しました。

 

帰国/国際協力への興味

一ヵ月のホームステイ体験を経て帰国した頃から、国際協力に興味を持ち始めます。当時は漠然と、JICA(国際協力機構)の存在、JICAがNGO/NPOとの連携をしていることなどを知っている程度でした。

 

大学留学時代

中学生の頃経験したホームステイ、中学の修学旅行で行ったイギリス研修で海外への興味は深まり、アメリカの大学で勉強しようというのはすでに頭の中にありました。

いざ、留学すると師事していた教授が自身のNPOを運営していたこと、それに加えてジャズのイベントを交えながら国際協力への活動をしていたことにより、NPO×JAZZの可能性をもっと突き詰めてみたいなと思うようになりました。

 

留学当初からアメリカの首都であるワシントンDCの近くにいたこともあり、NPOがいかにアメリカの歴史、文化政策と関連しているかということを肌で感じ、NPOのマネジメント、特に文化に特化した勉強ができる大学院で学ぶことを決めたのです。